りんごの時間。

AIHを経て7歳5歳の二児の母へ。二人育児の記録。

私が子供にしてあげたい3つのこと -親にしてもらいたかったことと共に考える-

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おはようございます、りんごです(・∀・)ゝ

 

先日、ブロ友と「親にしてもらって良かったこと」についてちょっと話し合う機会がありまして。

その後、友はとっても素敵な記事をアップしていました。

友が受けてきたであろうご両親からの愛情を文章を読みながら感じ、ほんわかと胸があたたかくなりました。

こういう育児、私もしていきたいな。

 

井戸端会議的な感じで、私も便乗して書こうかな(●´艸`)

と思ったものの…なんと言いましょうか。

私の場合「してもらって良かったことよりも、してもらいたかったことの方が多いかも…」と思い至り、便乗しようにも出来ず。

 

育ててくれただけでもありがたいことだと思うし、育ててもらった恩はしっかり感じている。
もちろん両親とも好きだけど。

心の底に「このときこうしてもらいたかった」みたいな記憶が未だに残っているという。

そんなことを悶々と思い、中々まとめることが出来ませんでした。

 

でも、こういう気持ちと向き合うことで今後子供にしていきたいことが明確になるかもしれないと思い、思い切って書いてみることにしました。

「育ててもらっておきながらお前何様だよ」な内容だけど…ヽ(´o`;

ちょっと重い話かもしれませんが、お付き合いいただけたら嬉しいです。

 

私が子供にしてあげたい3つのこと 

 

1.家族時間を大切に過ごしたい(一緒に様々な体験をしたい)

 

私は幼少期、盆と正月の帰省(車で1~2時間の距離)以外の家族旅行をしたことがありません。

週末みんなで公園へピクニック的なことも全くなかったし、家族で外で過ごすということ自体が極端に少なかったように思います。

一度だけ、家族で日帰り旅行と言いましょうか、県外へドライブのようなものをしたことはありましたが、後にも先にもそれ一度だけ。

しかも、そのときの写真は妹がフィルムをビーッと出してしまい現像できなくなってしまったので一枚もないという。

悲しくて悲しくて泣きわめく私に「そんなことで泣かない!また行けばいいでしょ!」と言い放った両親。

…で、いつ行くの('A`)?

 

私は家族でもっと特別な時間を過ごしたかったんだと思う。

非日常的な体験というか。

もっと家族でワクワクした時間を共有したかったのかな、と今なら思う。

毎日を平穏に過ごすことも大事だけど、たまにはそんな「いつもと違う体験」をするのも刺激的で興奮に満ちていて、その時間が子供にとってかけがえのない思い出となるんじゃないかな、と。

かく言うわが家も『旅行といえば帰省』になりがちではあるんですが(と言っても飛行機の距離だから割とワクワクは詰まっている方だとは思う)、帰省以外のたくさんの経験も子供たちと共にしていきたいと思っています。

子供と共に遊びに行けるのも今だけ。子供はすぐに成長してしまう。

そうなったときに後悔しないためにも、今の家族時間を大切に過ごしていきたいと思います。

 

2.子供の進路は全力で応援したい

 

高校3年生の頃、毎日のように父と喧嘩をしていました。

「大学は北海道に行きたい」という私と「ダメだ、東北から出るな」という父。

いくら自分の希望を告げても「ダメなもんはダメだ」と聞く耳すら持ってくれない。

なんでダメなの?どうして東北から出ちゃダメなの?と理由を聞いても「うるさい」と言われるだけ。

毎日悲しくて悔しくて、なんで話を聞いてくれないんだろう、と泣いてばかりいました。

結局はごり押しというか、自分が行きたい進路でむりやり話を進め、最終的には父もそれにしぶしぶながらに承諾してくれたので自分の願い通りにはなりましたが、とはいえ、受験勉強をしながら毎日のように喧嘩をしていた数ヶ月間、本当に辛かった。

あのとき、もし父が合格しても尚北海道へ行くことを本当に許してくれなかったら、夫と出会うこともなく、夫と結婚することもなく。

しーちゃんにもおーくんにも会えず、今の生活は送れていなかった。

もし、北海道の大学を諦めて父の望む東北の大学にしていたとして、その人生が思うようにいかなかったとしたら、私はきっと父を恨んでいたと思う。

北海道行きを許してくれたおかげで今の私がある、ということは結婚式の手紙で伝えました。
父にちゃんと伝えることが出来て良かった。

 

子供の人生は子供が決めるべきだと思うし、子供の人生の岐路まで親が選択することは出来ない。

私は、しーちゃんとおーくんが選ぶ人生は全力で応援していきたいと思っています。

自分の人生を後悔して欲しくないから。

 

3.どんなときでも子供の話をしっかりと聞きたい

 

私は中学校の頃。
登校するのが億劫になってしまった時期があります。

友人関係だったり、受験のプレッシャーだったり。

どれも些細なことなのかもしれないけど、色々な事由が重なって「学校に行きたいくない」と感じていました。

中学校への通学途中に祖母の家があったので、本当に気持ちが学校へ向かないときには、いけないことだと思いつつも祖母の家へ。

祖母は「休みたいならゆっくりしたらいい」と私を受け入れてくれたこともあり、時折学校を休んで祖母とのんびりした時間を過ごしていました。
「気持ちが落ち着いてから学校に向かう」ということもしていたので、実際に休んだのは数回かな。

 

しかしある日、学校から「りんごさんの体調大丈夫ですか?」と家へ連絡がいき、休んでいたことがばれてしまった。

それを知った母は「なんでずる休みなんかするの!?信じられない!!なんでそんなバカなことするの!!」と泣きながら私を怒りました。

母の涙を見たのはこれが初めてでした。

母は学生時代皆勤賞を目指したタイプの人なので、余計信じられなかったんだと思う。

 

母が怒る理由もわかる。私もきっとその立場なら怒りたくなると思う。

我ながらアホなことしたと思うし、母を悲しませたくなくて「学校行きたくない」と直接告げられなかった私が悪い。

母を泣かせてしまった、という罪悪感が今も胸に残っています。

でも…ちょっとだけでいいから「休むなんて、何か学校で嫌なことでもあったの?」と聞いてほしかったというのが本音だったり。甘えだけどさ。

 

これからわが子達も、私から見たら「なんでそんなことしたの!!!」と怒りたくなるようなことをしでかすときが来るかもしれない。

私も咄嗟に怒ってしまうような出来事が起こるかもしれない。

でもきっとね、子供ながらに理由があるんだと思う。
私自身がそうだったように。

大人から見たら些細な理由でも、その世界で生きている子供にとってはその小さな理由も大きな理由に充分なり得る。

子供が正直に話してくれるのかはわからないけど、怒るだけじゃなく子供の気持ちに耳を傾けていきたい。

そして、「ママになら話してもいい」と思ってもらえるような信頼関係を子供と作っていきたいと感じています。

  

改めて振り返って見て

 

「してもらいたかった」ことを書く=親の批判になってしまうのではないか。

そう思い、中々まとめることが出来なかったけど。

親を批判したいんじゃなく、私が子供の頃に感じた思いをわが子と向き合うときの指針に出来たらいいな、と思いまとめてみました。

 

両親には感謝しています。

そもそも、父と母がいなかったら私という人間は存在していないわけだから。

それに、両親の生き方にフォーカスをあてると、『それぞれで趣味を持ち、お互いのコミュニティを大事にしている点』は私も見習いたいと思っていることの一つです。

父は父で趣味の友達がたくさんいて、母は母で趣味の友達がたくさんいて。

子供に依存するのではなく、夫や妻に依存するのではなく、自分個人としての交流関係をしっかりと築いている点は本当にすごいと思う。

父はもう亡くなってしまったけど、母の周りには母を支えてくれる友達がたくさんいる。

母が築いてきてくれたコミュニティのおかげで、遠方にいながらも安心出来ています。

 『自立している』というのも娘から母に対して言う言葉選びとしては間違っている気もするけど。

『妻』『母』だけではない『自分』をちゃんと確立している母のことは、尊敬しています。

 

それに、母の家事レベルがさ、すんげーーー高いんだ。

手際の良さが半端ない。

そして、出来ないことは多分ない。(と娘から見て思う)

 

自分の趣味をずーっと続けれられているということは、それだけ家事を含む時間の使い方がうまいということなんだと思う。

子供を相手にしていると、自分の時間は二の次になりがちではあるけど、自分の時間を作る努力は私も母を見習ってしていきたいと思っています。

 

見習いたいと思うところは真似し、「こうして欲しかったな」と思うところは自分の育児に活かしていく。

自分の経験を子供に還元していくのは悪いことではないと思う。

してもらって嬉しかったからまたしよう、これは悲しかったからしないでおこう。

それをどう受け止めるのかは子供次第だけど、少しでもよりよい環境を提供できるよう、私は自分の育児に精一杯向き合っていきたいと思います。