りんごの時間。

AIHを経て7歳5歳の二児の母へ。二人育児の記録。

郷土料理と共に、父との思い出を振り返る。

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今回は父や祖母との思い出話がメインです。
ちょっと長めなので、興味のある方のみご覧くださいませ。


おはようございます、りんごです(・∀・)ゝ


父が亡くなって、早いもので週末には丸2ヶ月が経とうとしています。

しーちゃんの入園式と重なってしまい、四十九日法要に行くことは出来なかったのですが、先日無事終えることが出来ました。

 

父が亡くなってからというもの、もっと実家が近ければなぁ、というのを今まで以上に感じています。

日帰りが可能な距離なら、入園式の後に四十九日の法要に行くことだって出来たのに。

ただ生まれ住んだ家に帰りたいだけなのに、帰るだけなのに、時間もお金もかかる。
本当はもっと気軽に、もっと頻繁に母の様子を見に行ったりしたいのですが、それも叶わず。


あ~ぁ、実家が恋しいや。
もっと気軽に帰りたいぞ。

 

先月。

父の葬儀を終え自宅に戻ってから数日が経ったある日、母からこんなものが送られてきました。 

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父が漬けた漬物。
ビール漬け。

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お父さん、ビール漬け毎年漬けてたんですよね。

正確には、漬物名人のおばあちゃんが亡くなってからおばあちゃんの代わりに父が漬けるようになったのですが、これが中々美味しくて。

「わだっきゃ(俺は)漬けるのうまいんだ」と、自分の漬けた漬物の仕上がりに毎年自画自賛していた父。

私にとっても漬物を食べるのが、冬に実家に帰った時の楽しみの一つであり、それが当たり前の光景でした。

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この漬物も食べおさめ。

もうすぐなくなっちゃう。

えぇーーん、寂しいよぉぉーー(;O;)

 

父の作ってくれた漬物は、もう少しで幻の一品となってしまいます。

思い返すと、祖母の作ってくれた郷土料理も、気づけば幻の料理と化してしまっていました。

本当に大好きで、食べられて当たり前の料理だったのに、もう食べられない。

あんなに間近で作っている様子を見ていたのに、なんで作り方メモしたりしなかったんだろう。
と、小学生の頃の自分にイラついてみたり。

まぁ、その頃の自分に「いつか食べられなくなる」という危機感を持てと言っても不可能なわけで。


以前、ブログで交流させていただいている梅つま子さんが

 

人生で得られる最も価値の高い技術はいつでも無料で提供されていたはずなのに、 気づくのはいつでも手遅れなんだなあ。

ハンドメイド甚平と最近の自分のこと。 - 明日も暮らす。

 

と書かれていたのですが、猛烈に同意。
首をブンブンふる勢いで共感しました。


祖母の郷土料理も、父の漬物も。
なんで生きてる間に作り方を聞いておかなかったんだろう。

あんなに身近に存在していたのになぁ…。


なんてちょっぴりセンチメンタルな気持ちでいたところ、スーパーであるものを発見。

こ、これは…(;゚;Д;゚;)!!!

とっても新鮮な『アンコウの肝』。
この地で出会えるなんてっ!!!

そして沸々と湧いてきた「作ってみたい」欲。

ここで出会えたのも何かの縁。
記憶を頼りに作ってみたい。

どうせ食べるのは私だけだろうけど『作ってみたい』という気持ちを抑えられず、あん肝を購入してきました。

 

作った郷土料理は『アンコウのとも和え』という料理。

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あんこうの肝、とタラ。
本当はあんこうの身が欲しかったけど、売っていなかったのでタラで代用。

おばあちゃんも「今日いいアンコウなかったからタラで作った」的なときもあったし、これはこれでおばあちゃんの味になるはず。

 

ここからは10歳の頃の記憶を頼りに作りました。

多分臭み取りが必要なはず、とあん肝とタラに塩と酒を振ってしばらく置く。
その後丁寧に洗ってから身と肝を別々に茹でる。
茹であがったあん肝はすり鉢でゴリゴリしてたけど、わが家にはなかったのでボールで滑らかになるまで混ぜ混ぜ。

味付けは
「味噌っことネギばへで、酒っことみりんっこもわんつかへで」(味噌とネギを入れて、酒とみりんも少し入れて)
とお婆ちゃんが言っていたような記憶がかすかにあったので、その通りに。

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無事完成。

一口食べたら、ばーーーっっと昔の記憶が蘇ってきて、不覚にも泣いてしまった。

おばあちゃんの味だ…(´;ω;`)
お父さんも好きだったんだよな、これ。

タラじゃなくてアンコウの身で作ったらもっと美味しいんだけどなぁ…。
どこかに売ってないかしら。


アンコウのともあえ。

残念ながら、我が家族には大不評。
まぁそれも予想していたことなので仕方なし。

一人、昔を懐かしみながらチビチビ食べました。

 

郷土料理をたくさん作ってくれたおばあちゃん。

私が何よりも好きだったものは、おばあちゃんが漬けた漬物でした。

きっと、お父さんもおばあちゃんの漬物が恋しくて自分で漬け始めたんじゃないかな、と思う。

またおばあちゃんの漬物食べたいなぁ…、なんて思っていたところ、こんな商品をたまたま訪れたお店で発見。

三五八(さごはち)漬けの素。

おばあちゃんは、よくきゅうりの三五八漬けを作ってくれていて、これがとにかく大好物だった。

おやつにおばあちゃんの漬けたきゅうりの三五八漬けを3本食べる、なんてことザラにしてた。

きゅうり3本一気に食べるって、中々スゲーな、おい。
と今なら冷静に思うけど、当時の食欲はほんとにすごかった。

もちろん、おばあちゃんはこんな素を使ったりせずに漬けていたわけだけど、おばあちゃんが亡くなった直後に記憶を頼りに麹等を用いて作ったものは似て非なる味になってしまっていて、漬物作りの奥深さを痛感していたのです。

案外素を使った方が似た味になるんじゃない?
なんて思い、これを用いて漬けてみたところ…

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おばあちゃん光臨。

これだーーーーーー!!!!
と震えました。


これまた、我が家族は全く手をつけてくれないんですけど、むしろ独り占めできるからそれでいいとすら思ってしまう。

今もまたきゅうり5本分漬けています。

おやつに食べよう。

 


私の気持ちはだいぶ持ち直してきたけど、やっぱりどこか寂しくて。

そんな気持ちもあって、小さい頃に親しんできた味が恋しくなっているんだと思う。

 

郷土料理もそうだけど、

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お父さんが釣ってきた魚も食べたいし、

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お父さんが狩ってきた鴨で作る鴨鍋の味も恋しい。(多分写真はキジ)

お父さんが採ってきたタケノコも食べたいし、お父さんが作ってくれたモツ煮込みもまた食べたい。


全部もう食べられないのがほんと悲しい。

って、悲しむポイント全部食べ物かーい。
自分の食いしんぼうぶりにびびる。笑

 

それでも、悲しんでばかりもいられない。

一番悲しいのは故人を思い出さなくなること、って何かで見た気がするけど、私もそう思う。

地元の味を「しーちゃんとおーくんのおじいちゃんがこの料理好きだったんだよ」という会話と共に食卓に出すことで、二人の頭の中に「おじいちゃん」という存在を残してあげられたらいいな、なんて思う。

 

私の母もまた、悲しんでばかりもいられないと感じているようで、どうやら、もんのすごーーーーく断捨離しまくっているようです。

部屋の模様替えもして、いらないものはバッシバシ捨てて。
その勢いにはわが母ながら目を見張るものがあります。

ここ最近で一番衝撃を受けたのが

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この庭が

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こうなったこと。

誰の家っ!!!!
サッパリさせすぎでしょっ(;゚;Д;゚;)!!!!!!

写真送られてきたとき、「ぬおっ!!」と声を出して驚いてしまった。

母、ミニマリストへの道を邁進中。

 

私と妹が母に伝えているのは、「お母さんが暮らしやすいように整えてもらえたら私たちはそれが一番うれしい」ということ。

もちろん、庭の木にも思い入れは多少あったけど、それよりも、冬の雪囲いどうしようとか、伸びてきたけど手入れどうしようとか、そういう面倒事がなくなる方が私としては安心できるし嬉しい。

母も、思い出に縛られるのではなく、自分がこれから生活していくためにどうしたらよいのかを色々と考え行動しているようで、その様子に娘としてもホッとすることが出来ました。

 

2週間後のGWには、祖母の7回忌と父の納骨(雪国なもので冬の間は納骨不可なのです)を行ってくる予定でいます。

その頃、私の実家がどのくらいサッパリと変化を遂げているのか。

母のミニマリストっぷりを見るのが少々楽しみです(●´艸`)

 

 長々と思い出話にお付き合いいただき、ありがとうございました(●´ω`●)