りんごの時間。

AIHを経て7歳5歳の二児の母へ。二人育児の記録。

自宅に戻ってきました。今の気持ちを徒然なるままに。

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おはようございます、りんごです。


前回の投稿へ温かいコメントを多数いただき本当にありがとうございました。

何度も読み返しました。
本当に励まされました。

お礼が遅くなりすみません。
すぐにお返事を、と思ったものの、どうしても気力がついていかず、思い切って更新自体をしばらくお休みさせていただきました。
大変申し訳ないのですが、まとめての御礼となってしまいますことお許しください。

 

昨日、実家から自宅へと戻ってきました。

滞在中は、父の死を感じるもので溢れているのにも関わらず、葬儀等も終えたにも関わらず、常に線香の香りが漂っているのにも関わらず、なぜか実感がわかず、悲しいはずなのにどこか他人事。

だけど、例えば車の運転中など「ここ、お父さんの車に乗って通ったなぁ」とふと昔の思い出がよみがえってきて、それがもう出来ないんだということを痛感しては、またシュンと気持ちが落ち込んだり。

でも、毎日手続きなどで忙しく、子供の相手も一人でしなければならず、悲しみにふける余裕すらなかったように思います。


自宅に戻ってきて、ようやくホッと一息つけました。
と同時に、今まで張りつめていた気持ちがふっとほどけたのか、今更ながら悲しくなってきて、涙が止まらなくなりました。

非日常な空間にずっといて麻痺していた自分の気持ちが、ようやく動き出したような、そんな感覚でした。

そして、泣けた自分にどこかホッとしました。


父が亡くなった日にはめいっぱい泣いたけど、それ以降は「しっかりしなきゃ」という気持ちが強くなり、モロモロの手続きについてや母の今後の生活についてなど、誰に頼まれたわけでもないけど色々調べたりまとめたり。

火葬場では、普段父に文句ばかり言っていたクールな母が立っていられないほどに泣き崩れる姿を見て、ますます「私が支えなきゃ」という気持ちが強くなり、なぜか涙が出てこなかった。

「頼りになる」「しっかりしてる」

母からも妹からも、周りの親戚からも言われ、そうでなきゃいけないと思っていたけど…

私も甘えたかったんだね。

夫の顔を見たら、元の自分に戻ったような、そんな気持ちになりました。


全然しっかりしてないよ。
私だって悲しいよ。


でも、そうやって調べ物をしたり、手続きに同行したりすることで、現実逃避をはかっていたというか、そうすることで自分を保っていたんだと思います。

 

自宅に戻ってきたら、悲しい気持ちも落ち着くかと思っていたけど、逆でした。

むしろ悲しい。

そして、言いようのない不安。

いつかは母も旅立ってしまう。
それをちゃんと乗り越えられるんだろうか。

もし、夫や子供がいなくなってしまったらどうしよう。
そのとき、私は私でいられないと思う。

 

これ以上、大切な人を見送るのは嫌だ。

また「死」に触れるのが怖い。
大切な人がいるからこそ、怖い。


今のこの日常が変わってしまうのが怖い。

 

きっとこれからも、ふとしたときに悲しみや怖さや不安は感じると思う。

でも、きっとそれは仕方のないことなんだと思う。


その上で、私が出来ることは何なんだろう。

そう考えたときに思うのは、父への手紙にも書いた「今を精一杯生きる」こと。

先のことや後のことを考えるのではなく、今の生活を一生懸命生きること。

 

そして、今私にとって課題の一つだと感じているのは、母との親子関係の在り方です。

 

滞在中、強く感じたのですが、私と母はとても似ている気がします。
自分が嫌だなと感じている部分は特に似ている。

つっけんどんな話し方や、すぐイラッとしてしまうところ。
一見悩んでいないように見えるし強い人に見えるけど、実はメンタルが弱いところ。
家族には妙に遠慮して本音を話せないところ。

 

父が亡くなった日、伯母(母の姉)と二人で話す機会があったのですが、気持ちが高ぶっていたのか昔の出来事など思いつくままに話し、色々聞いてもらいました。

学生時代、母を悲しませたくなくて辛い出来事も話せなかったこと、親に遠慮してしまって今もしてほしいことなどちゃんと言えないこと。

すると伯母は「昔、りんごが悩んでいるみたいだって、お母さん私に相談してたんだよ」と、教えてくれました。

なんてことはない、お互いに遠慮して本音をぶつけられなかっただけだったんだ。


以前、書いたこの記事。 

www.ringo-time.com 


今見返すと「てめー甘っちょろいこと言ってんじゃねーよ」なんて自分を罵倒したい気持ちでいっぱいになるのですが。

これも、要は自分の親に対して自分のしてほしいことを言えなかったってこと。
母も、私に遠慮して聞けなかったってこと。

 

上記の投稿をした後、私も書いたことで少し気持ちが落ち着いたのか、親に変わってもらうのを望むんじゃなくて自分から動こうと思い、年末年始に妹に父のスマホにラインを入れてもらい(←父は自分じゃ出来ないからね)、家族のグループを作成。

父が亡くなるまでの2ヶ月間はマメに写真や動画を送っていました。

既読になるだけで嬉しい。
見てくれてる、と思うだけで嬉しい。

文明に助けられました。

そして、三輪車に乗りながら寝てしまったおーくんの写真を見て「さすが俺のまごだ」と父が返信してきたのが、父との最後のやり取りとなりました。

やっとラインの返信ができるようになったところだったのにね。

父とラインでやり取り出来たのはたった2ヶ月間だけだったけど、意識的に今まで以上に写真や動画を送るようにして、本当に良かった。

孫の様子を見てもらえて、本当に良かった。

もし、文句を言いながらも何もしていないままだったら、きっと私はもっと後悔していたと思う。


父がいなくなった今。

母に対しても、察してもらったり変わってもらうことを望むのではなく、思うことがあるならちゃんと言葉で伝え、言いたいことはちゃんと言い合える親子関係を築いていきたい。

そして、私は、人にしてもらうのを望むのではなく、自ら行動する人間でありたい。

 

父の死から10日余り。

今はまだまだ気持ちが落ち着かないけど。

子供の世話をして、入園準備を進めて、また朝早起きしてブログを書いて。

そんないつも通りの時間が私をまた元気づけてくれる気がします。

でも、母が今まで通りの時間を過ごすことは難しく。
突然一人になってしまった母がやはり気がかりなので、「ご飯くってるかー!?」とまめに連絡をしていこうと思っています。

 

次は5月に帰る予定です。

父の葬儀を経験して、初めて線香の意味や初七日や四十九日の意味などを知りました。

四十九日は予定があってどうしても実家には帰られなさそうなのですが、その場には駆けつけられないけど、手を合わせて父が極楽へ行けるよう祈ろうと思います。

 

 

思いつくままに書いてしまったので、自分で見返しても何がなんだかよくわからない文章になってしまいましたヽ(´o`;

しーちゃんとおーくんの滞在中の様子などについても触れたいと思っていたのですが、それはまた別にまとめようと思います。

  

暗い話題が続いてしまい、すみません。

一通り気持ちを吐きだしたら、いつも通り更新していきたいと思います。

 

あともう少しだけお付き合いいただけたら嬉しいです。