ご無沙汰しております、りんごです。
2月22日。
私の父が亡くなりました。
いつかは親との別れが訪れるということをわかってはいました。
弱っていく姿に心を痛めたり、遠くに住む親の介護をどうするのか頭を悩ませたり。
そうする中で少しずつ親との別れを覚悟していくものだろうと思っていました。
でも、現実はあまりに早く、あまりに突然でした。
夜中に倒れたと連絡があり、夫に子供を任せて朝一の新幹線で向かったけど、新幹線に乗り込んだと同時に入った訃報の連絡。
父の死に間に合うことすら出来なかった。
5月に帰る予定をしていたのに、まさかその前に会えなくなる日が訪れるなんて、考えてもみなかった。
学生の頃、毎日横切っていたこの病院で父が亡くなるなんてこと、考えてもみなかった。
おじいちゃんやおばあちゃんよりも先にお父さんが逝くなんてこと、考えてもみなかった。
考えてもみなかったことの連続だけど、これは確かに現実。
死因は、肝硬変。
全ての臓器が弱っていて、病院に運ばれたときには手の施しようがなかった。
母が何度「お酒飲み過ぎないで」とお願いしても、妹が「むくみがひどいよ、飲み過ぎだよ」と指摘しても、もちろん私が言っても、「あぁ」と言うだけで。
健康診断の結果も母には「問題ねぇ」と言ってひた隠しにして。
それでも尚、毎晩相当な量を飲み続けた結果の肝硬変でした。
苛立ちと悲しみと後悔。
いろんな気持ちがごちゃまぜだけど、どこか他人事。
だって、いつもの寝顔なんだもん。
いびきかいてないだけで、いつもと一緒。
いつもリビングで寝ている姿と全く一緒。
むくっと「わい、寝てまったじゃ」と今にも起きてきそうな感じがして。
「お父さん、寝るなら2階に寝てよ」
「お父さん、いびきうるさくてテレビ聞こえない」
「お父さんって」
そう家族が文句を言うときの父そのもので。
「お父さん、そろそろ起きたほういいよ」
「お父さん、そろそろ起きないと大事になってきてるよ」
「お父さん、そろそろ起きないと焼かれちゃうよ」
「お父さん」
何度話しかけても返事はなく。
何度話しかけてももう一度動くことはなく。
父、61歳の生涯でした。
通夜や葬式に参列したことは過去にもあるし、火葬場で祖母のお骨を拾ったこともある。
祖母との別れももちろん悲しかった。
でも、親の死を経験して、初めて「死」を身近に感じました。
さっきまであんなに元気だったのに、突然動かなくなる。
大好きな父の大きなゴツゴツした手が、固く冷たくなる。
棺桶を特注にしなければならないくらいあんなに大柄な人だったのに、こんなに小さな骨壺に収まる。
父の人生がいきなりプツンとなくなってしまう。
もう元気だった父には会えない。
死は、私が感じていた「当たり前」が「当たり前」ではなくなることなんだ。
日々感じている「当たり前」がいかに尊い時間なのか。
当たり前は決して不変のものではないということを強く感じました。
父の死から数日経ち、明日で初七日を迎えます。
毎日バタバタ忙しく、あぁ、忙しさで悲しみにふける暇がないというのはあながち間違ってはいなさそうだ、と妙に冷静に感じていたりします。
でも、家に飾っている遺影や位牌を目にするたび、あぁこれは現実か、と思う日々。
今週はすべての予定をキャンセルにして、このまま実家に滞在し、しーちゃんおーくんと共に母の近くにいようと思います。
少しでも母の心の支えになれればよいのですが…。
ようやく、私も少しずつ「ブログを書こうかな」という気持ちになってきました。
しばらくの間、暗い話題が続いてしまうかもしれませんが、気持ちの整理もかねて書いていきたいと思っています。
以下、亡き父への手紙です。
もしよければ、お付き合いください。
お父さん。
お父さんへ手紙を書くのは2回目です。
結婚式の次に書く手紙が葬式になること。
それがこんなに早くに訪れるということ。
全く思いもしませんでした。
お父さんへ、私から最後の手紙です。
お父さんは趣味に生きる自由人でした。
土日の度に射撃だ釣りだ山菜採りだと出掛けてしまい、土日には父がいないものと幼心に認識していました。
でも、自分が子を持った今自分の幼少期を振り替ると、
もっと一緒に遊びたかった。
家族旅行をしたかった。
という少々の寂しさを感じます。
お父さんともっと触れあいたかった。
その思いを、しーちゃんとおーくんの二人の孫と共にこれから過ごす時間の中で少しずつうめていこうと思っていました。
旅行にも、いつかみんなで行きたい、というのが私の密かな夢でした。
5月には青森に帰って大きくなった二人の姿をお父さんに会わせられることに嬉しさも感じていたのに、それが叶わなくなるなんてこと考えてもみなかった。
正直、悔しいし腹もたつ。
なんでもっと自分の体を大事にしてくれなかったんだろう。
みんなであんなに「飲み過ぎないで」って言ったのに、と。
でも、それ以上の悲しみや後悔。
お父さんにもう会えなくなること。
お父さんにもう孫を会わせられないこと。
もっと親孝行していればよかった。
もっと孫の顔を見せてあげればよかった。
お父さんにもうしーちゃんとおーくんを抱っこしてもらえないことが本当に悲しい。
リビングで大きないびきをかいて寝て、台所でNHKを大音量で見て、友達からの電話に出ては生粋の津軽弁で大声で電話をする。
そんな当たり前の光景が当たり前でなくなってしまった。
あんなにうるさかったのに、2月22日を境に悲しくなるほど静かになってしまった。
それを私達家族、とくにお母さんが受け入れられるようになるには少し時間がかかると思う。
でも、お父さんの死に直面して、わかったこともある。
お父さんの携帯、今もひっきりなしに鳴っているんだよ。
お友達が何人も来て、お父さんの死を涙しながら悲しんでいるんだよ。
お父さん、こんなに人望が厚いんだ。
こんなに慕われているんだ。
友達や親戚から慕われ頼りにされ愛されているお父さんを、素直にかっこいいと思った。
好きなことを好きなだけ思い切りやる。
我が道を突き進むのがお父さんの選んだ人生だったんだろうな。
お父さんはしたいことをしたいようにして太く短く生きる人生を選んだ。
お父さんの人生は、きっと幸せだったと思う。
私は、お父さんに「さすが俺のまごだ」といわれるような子供を育てられるよう、今を精一杯生きます。
お父さんのように、生ききった、幸せな人生だったと言われるくらい、自分の人生を精一杯歩みます。
お母さんのことは、私と妹がちゃんと支えていきます。
だから、天国でちゃんと見守っていてください。
天国では、じさまばさまに得意のテキトー節で話しかけながら、お父さんらしくガハガハ笑って楽しく暮らしてて。
おばあちゃんには「何しに来たの。まだはえーはんで戻れ」って怒られると思うけど、二人でこっちの様子お茶でも飲みながら見てて。
そっちの暮らしでも、没頭できる趣味を見つけて、お父さんらしく我が道を突き進んでください。
だいぶ先にはなると思うけど、またいつか会おうね。
なんやかんや思うことはあるけど。
お父さんのこと、大好きです。